大津京おおくぼ歯科医院では「歯」に関する様々な情報・ご質問を随時更新しております。

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2011.04.11

【院長大久保の開業までの道のり(大げさですが)】

院長の大久保康則はこんな人生を歩んできました。

?小学校時代

昭和42年京都市左京区で生まれました。私の両親は医療従事者ではないため医療と無縁な環境で育ちました。3つ下の弟がおり、いわゆる昭和の一般的な家庭であった様な記憶があります。当時我が家周辺はまだまだ空き地、山、川などがあり、近所の子供達と日が暮れるまで虫や魚を捕まえたり、野球などをして遊んでいました。当時の私は積極的にみんなを引っ張っていくタイプではなく、誰かが「この遊びをしよう」というとそれに楽しみを見いだすような、キャラの薄い人間だったと思います。しかし、体だけは丈夫で、小学校は病気で1日も休んだことがないことは自慢でした。未だに体だけは丈夫で親に感謝しております。

 

中学・高校時代

中学からはテニスを始め、勉強そっちのけで練習しました。そのため中学では京都市の大会で2位になったり、クラブ活動を通じ多くの友人に恵まれ楽しい時代でした。しかし、引退後その代償はあまりにも大きく、すっかり勉強嫌いになってしまい(おまけに20kgも太ってしまいました)、浪人時代を送る羽目になりました。しかし、ある一人の先生が呆然としている私に「医療の道が向いている」といってくれたことに私は感激し、この道で頑張っていくことを決意しました。その結果なんとか1年後に大学に入学することができました。

 

大学時代

大学は住み慣れた京都を離れ、初めての一人暮らしをみちのく仙台で送ることになりました。大学でもテニスを続けましたが、私の学年は私だけしかおらず(泣)、最終学年の時は自動的に主将になってしまいました。しかし、しぶしぶやってみると、部員のとりまとめなど苦労することもありましたが、やりがいがあり、その経験は今も生かされていると感じています。また、アルバイトで家庭教師、塾講師など行いましたが、いまでいうコーチングということでしょうか。いかに生徒にやる気をおこさせ、そのモチベーションを維持させることの難しさを学びました。それは大学時代で得られた大きな財産であると今感じています。なお、その合間に学業もなんとか行い無事卒業できました。

 

勤務医時代

卒業後は京都に戻り、京都大学で研修を行いました。研修は忙しく、入院患者の処置、手術、術後管理(歯科でも入院を要する病気はあり、それは歯科医が担当します)に1日の大半を費やしました。しかし、歯の事しか分からない歯科医よりも全身の事を理解出来る歯科医になるために、毎晩仕事が終わった後、一生懸命勉強しました。その後市立長浜病院で勤務しました。その間数多くの口腔腫瘍の患者さまを担当することになりました。術後多くの患者さまが顎の骨を切除することによって食事ができない、顔が変形して外出しづらいという悩みを打ち明けておられました。それを何とかしたいという気持ちが芽生え、骨の再生をテーマに研究を始めるために大学院に入学しました。大学院卒業後はさらに探求するためにイギリス・アメリカの大学に留学し研究を行いました。余談ですが、長浜の時より滋賀県に住み始め、滋賀県の生活環境の良さを気に入り、大学院時代から現在まで大津に住んでおります。留学後は大学病院で治療を行っておりましたが、長年お世話になった大津市で地域の皆様に京都大学で行っていた高度な医療と長年お手伝いさせて頂いた開業歯科医院で行っていた心の通う地域医療を併せて提供したいという思いが強くなり、平成23年3月に大津京おおくぼ歯科医院を開院することになりました。